東久留米ってどんなまち?

1.歴史 縄文土器のまち。

原始時代から多くの人がすんでいました

湧水

約3万年前の旧石器時代に始まり、市内には100を超える旧石器、縄文時代の遺跡があります(小山台、下里本邑、新山など)。

なかでも自由学園南遺跡には関東でも最大規模の集落がありました。

イノシシの形をした獣面付土器が出土するなど、祖先の人々にとって大変暮らしやすい地域だったのですね。

久留米のもとになった8つの村

江戸時代には、久留米には8つの村がありました。江戸の町の野菜供給地として栄えました。
明治時代になり、これらの村が合併して、久留米村が誕生。現在の東久留米市にいたっています。

2.地勢 湧水のまち。

川がいたるところで流れています

川あそび

黒目川、落合川、立野川など河川が流れています。都内では珍しい川に育まれたまちです。

透明な清流は、訪れる人に格好のウオーキングコースであり、川遊びの場になっています。

また、カワセミ、ホトケドジョウなど清流に生息する動植物も豊富です。

湧水の宝庫です

川の源流がほとんど市内から湧きだしているのも特徴です。
代表的な南沢湧水群をはじめ、南沢緑地竹林公園黒目川天神社前など市内の湧水スポットがいくつもあります。

3.産業 都市農業からインディーズ・ショップまで、働くことが身近なまち。

東久留米の街並み

東京の中心から西北西20㎞にあるこのまちでは、住む場所と仕事が寄り添っている、そんな風景が結構あります。

道を歩いていると、江戸時代の農作物を復活させた農家さんや、小さいけれど個性的なお店(とそのオーナー)や、実力派の職人さんの工場があったりします。

少し目を凝らす必要があるけれど、このまちの産業には人々の生活が、時間が、ゆるやかに流れています。

4.暮らし お帰りなさい、我が家へ帰るまち。

東久留米の街並み

約11万5千人の人々が生活するこのまちは、かつて帰る場所=「ホーム」を求める人々が住むことで、日本で一番人口が多い『町』になりました。

その後、次の世代が生まれ育つとともに、久留米町も市となり、一緒に育ってきました。

今も、このまちに生まれ育つ人たちがいます。そして、かつて育ったこの街に、帰ってきた人たちもいます。

このまちは「ホーム」のように、いろいろな人たちの帰りを待っています。

5.未来 世代を超えてつながりをつくるまち。

ダイヤモンド富士

このまちの上には、地平線の先へと続く、武蔵野の空が広がっています。

このまちの中を、東京のイメージとは少し違った、さわやかな風が吹いています。

このまちの足元には、固く頑丈だけど、栄養豊かな関東多摩の大地が広がっています。

そして、わたしたちが想像する明日のこのまちには、きっと、あなたがいるはずです。

つながりと、活力のある素敵な未来をこのまち東久留米で、一緒に描いてみませんか。

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