すでに東久留米市では、中学生は始業を迎え、いつも通りの生活が始まっております。
始業式には、式終了後そのままに休み明けテストが実施されたと聞き、世の中で起きている子どもたちの自死、自殺問題は、自分たちの目の前の子どもたちには起きないと考えていられるのか、それとも家庭でそうならないようにすべき問題だと考えているのか…何ともモヤモヤとさせられた始業の話しでした。
真面目なお子さんほど、始業に向けて準備し、将来という言葉に”つらい気持ち”をしまい込む。
何もしないという選択肢が持てない、認められない、そんな居場所のない子どもたちがいるという事実。
何ともやり切れない気持ちになります。
それでも、ひとりの大人として…伝えられることは、無いだろうか?できることはないだろう?諦めが悪く、思いを深めています。
我が子の「学校に行きたくない!」に向き合わなくなったなら読んでほしい・・・。
我が子が「学校に行きたくない」と言ったなら、その言葉を振り絞った苦しみを受け止めてあげてほしい。
認めなくてもいい、受け止めてあげてほしい。
学校で、どんなことがあり、どんなことに困り、どんな自分自身と向き合って来たのか、察してあげてほしい。
それでも、学校に行った方がいいのか?
そこまでして休まずに行った方が良いのか?ひとりの大人として、考えてあげてほしい。
今受けている配慮、支援、理解は、周りの皆と足並みを合わせるものでは無いだろうか?
誰かのために感張り続けてはいないだろうか?
もしも、その子の人生を豊かにするために行なっている配慮や支援ならばいい、でも苦しさを覚えている学校に通うために得ているものならば・・・誰かに迷惑をかけないために行なっているものならば・・・それ以外の方法がないのか、考えてあげてほしい。
学校は、我が子が何を学ぶべきところなのだろうか?
勉強?それならば、自宅でも個別教室でも配慮もなく、いつものツールを活用して学ぶことができる。
仲間づくり?
集団できる学び?
それは、その場所、その場所を共にする仲間に安心を感じてこその学びで、いじめや孤独などがあるならば、苦しみばかりだ。
子どもは、安心安全な場所で無ければ、チカラを出さない。出せない。
「もう嫌だ!」
「やりたくない!」
「これがいい!」
そんな言葉を出している時に、考えてあげてほしい。
生きることを諦めた時には、そんな言葉さえも出なくなる。
いつも会話は一方通行となり、隣に寄り添うことも難しくなる。
「もう嫌だ!」と言った、あの時に戻り抱きしめてあげたいと思うはずだから・・・。
何よりも大切なのは生きていること。
もっと、大切なのは、自分の思いを持って生きているということ。
どうか、一度だけでも、
「もう嫌だ!」に味方してあげてほしい。
発達支援サークルで・こぼ