東日本大震災復興支援】震災から8年7ヶ月“つながる”南三陸町歌津と氷川台自治会‼(その4)

【寄木漁港の漁師さんと氷川台自治会の8年間】

 1.氷川台自治会と寄木漁港の漁師の出会い
 2011年3月11日午後2時46分に発生した震度9の東日本大震災は、南三陸町歌津の寄木漁 港でワカメ・ホタテ・ホヤ等の養殖事業を中心に生計を立てていた漁師さんたちに壊滅的な被害 をもたしました。

震災後の2012年当時の寄木漁港
岸壁は壊れ土嚢を積んで浸食を防いでいます。漁港湾内に浮かぶ難を逃れた漁船が数隻係留されています。

 氷川台自治会は、震災直後地震被災者支援金として10万円を拠出しましたが、2010年4月に 会長に就任し、自ら先頭に立って自治会活性化に動き出した殿田会長(現・顧問)は、被災者を目 に見える形で支援できることはないかと支援先を模索していました。その時、南三陸町の寄木漁 港でワカメやホタテの養殖をしていて被害に遭った漁師さんが復興に動き出したとの情報を得て、氷川台自治会として支援をして行くことを決めました。

2.寄木漁港での作業支援活動
 2012年5月から具体的な支援活動に入り、最初に養殖ワカメの再開にこぎつけた漁師さん達 が育てた塩蔵ワカメの共同購入で65世帯の会員が協力しました。その年10月末に現地での作業支援ツアーの募集をし現地を始めて訪問しましたが、第1回目の参加者は4名のみでした。
      現地訪問した会員は、津波で養殖設備や漁具の殆どを流された漁師たちが懸命に復興に向けて戦う姿に触れ、また、自分たちが体験した過酷な労働環境に接し、冷たい海の仕事をする漁師さんたちのことを思い防寒着や冬物衣料などの拠出を自治会会員に訴え段ボール箱に詰めて送りました。その中で特に印象に残るのがお湯を入れるポットを要求されたことでした。聞くと、海の仕事で冷えた指先が痺れるためポットの中に手を入れて温めるとのことでした。改めて漁師さんの過酷な労働環境を思い知らされました。

 ① 2012年10月☞初めての作業支援訪問

20m上部に掛かっている漁具(ブイ)は津波高さを示しています。

世界各国から集まったボランティアと一緒にした作業は、養殖筏の重しに使う土嚢に砂利を詰める仕事でした。

② 2013年4月の作業支援

茎とメカブの分離作業

③ 2014年3月の作業支援

寄木漁港に漁船の数が増えてきました。

④ 2015年3月の作業支援

新設された荷揚げ用のクレーン前で記念撮影におさまる自治会会員

3.漁師さん家族の東京見物

  2014年10月に南三陸歌津寄木漁港で養殖ワカメ等の復興に励む漁師さん家族有志が氷川台自治会にやって来ました。漁師さん家族が氷川台の地を訪れるきっかけは、2014年3月に養殖ワカメ収穫支援活動で行ったとき、漁師の奥さん達との会話でした。“震災後1~2か月は何があっても、誰が亡くなったと聞いても涙も出なかった。思いだしたく無いけど忘れられない。毎日が必死で休まる時がない”の言葉に、“一度寄木を離れて東京に来なさいよ・・・”が、きっかけで実現しました。
 2011年を表す漢字は「絆」でした。復興へ向けて漁師さん達家族の絆、漁師さん同志の絆、被災者と支援者との絆によって漁師さん達も見違える様に明るく元気になって来ていました。漁師さん達の氷川台訪問で「絆」から「支え合い」へと変わってきました。慰め合い、助け合い、相談し合い、助言し合う仲間が増えたような気がしました。寄木の漁師さん達とは勿論、寄木の漁師が運んでくれた賢い縁で県外にも、都内にも、東久留米市内にも支え合う仲間が沢山出来ました。まさしく地域の枠を超えた「支え合い」のネットワークが出来ました。

2014年10月4日・ 16名の漁師さん家族が氷川台(グレゴリオの家)にやって来ました。

当時の様子を伝える読売新聞記事

氷川台を訪問してきた漁師さんたち (聖グレゴリオの家聖堂にて)

東京スカイツリー展望台から都内を眺める漁師さんたち

 以降、毎年漁の暇な時を見計らって氷川台自治会を拠点にして東京見物に見えています。昨年(2018年9月)は漁師さんたちと馴染みの深い築地場外市場と開場前の豊洲市場を案内しました。皆さん市場規模の大きさと設備の充実に驚かれていました。

過去に築地市場で取引されたマグロの中で、最も大きかったマグロの実物大模型(重さ499㎏、長さ2.88m)

巨大マグロの模型の前ではさすがの漁師さんも圧倒されていました。

4.震災から8年7ヶ月、寄木の今は

防集移転先団地で漁師さんたちの新しい生活が始まりました。

2011.3.11大津波の教訓を生かし、 寄木漁港から高台への避難通路(階段)も完成しました。

何事もなかったように波静かな寄木漁港には、8年の歳月と共に漁船の数が増えて活気が戻ってきつつあります。

 一方、震災の記憶や復興状況は忘れることなく語り継がれていこうとしています。

復興支援広報紙(令和元年㋆30日発行)通算第67号

記事内容】
震災から8年4か月が過ぎ、住宅再建がほぼ終了したと言うものの、歌津吉野沢仮設住宅には3世帯10名が暮らしている…

寄木地区は、寄木漁港水門から寄木川沿いに集落を形成していた集落であったが、46戸のうち35戸(約76%)が被災した。住宅再建は防集移転団地へ23戸。自力再建が9戸でほぼ終了…元の集落跡地にはポツンポツンと作業場が見える。
(支援先の歌津寄木地区の様子を伝える記事)

【3.11 南三陸歌津】(B5版・76P・800円+税)

歌津地区で震災に遭われた8名の方が、大津波が襲ってきた当時の状況や避難の様子、家族の安否確認、救助の手が届いた時の様子が生々しく語られて収録されています。

  2011年3月11日に発生した東日本大震災の復興支援を目的に、2012年5月から始まった氷川台自治会と南三陸町歌津寄木漁港の22名の漁師さんたちとの交流も7年7ヶ月になりました。2012年10月第1回被災者支援活動ツアーは4名の参加者に留まりましたが、以降参加者の大小に関わらず支援活動を継続した結果、2019年11月の第9回被災者支援活動は16名の参加協力者を得て実施しました。
 平成から令和に替わっても氷川台自治会と南三陸町歌津寄木漁港の漁師さん家族との「絆」はこれまでと変わることなく続いていきます。

                      氷川台自治会顧問 殿田 俊三