【東日本大震災復興支援】震災から8年7ヶ月“つながる”南三陸町歌津と氷川台自治会‼(その2)

南三陸町歌津寄木支援ツアー紀行
第2日目:11月5日(火):歌津漁港での作業支援と漁師さん家族との懇親会

    氷川台自治会のイベントは天気に恵まれるジンクスは南三陸町まで及ぶかの如く、早朝から素晴らしい朝日に迎えられました。

美しく穏やかな海が、2011年3月11日の大震災で20mの津波が発生し沿岸住民を襲ったとは信じられません。

    早朝8時に民宿から漁師さんが待つ寄木漁港に向かいます。

 

寄木漁港で漁師さんから作業内容を聞く参加者の皆さん。
今日は4か所に分かれて漁師さんの手伝いをすることになりました。

養殖に使うロープに着いたごみを取る

真剣な表情でマホヤの種苗がついたロープからごみを取り除いています。

     漁師さん達の朝は早く、船で漁に出る人は夜中から、養殖作業も夜明け前から始まり大体午前中で仕事を終えられます。我々手伝い部隊も午前中で作業を終えて「寄木・韮の浜地区集会所」に移動しました。
    そこには漁師さんの奥様達が用意してくれた海の幸たっぷりの昼食が用意されていました。

お昼のメニューを紹介
・ご飯はホタテ炊込みご飯の上にたっぷりのイクラがのった丼
・イワシたっぷりのつみれ汁。
・戻りカツオの刺身
・歌津湾でアワビを食べて育ったマダコの刺身
・こんぶと白菜の漬物

    あまりの美味しさに何杯もおかわりする会員続出でした。また、漁師さん達も今日の昼食は美味しいと唸っていました。

    昼食後は、本日のメインイベント氷川台の遊子「三遊亭遊子落語会」の開催です。昨年から氷川台自治会で応援を兼ねた「三遊亭遊子落語会」を4回開催している関係で、今回のボランティア支援活動への協力を打診したところ快く引き受けてくれ実現しました。

プロの落語家の喋りを楽しみに集まってきた漁師さん達

三遊亭遊子の出し物に笑い声の絶えない会場

噺の後は踊りのサービス「奴さん」

 会場に集まった漁師さん達は50人近く。防災移転団地(23戸)の殆どの住人が集まったことになります。三遊亭遊子の熱演に“こんなに笑ったのは久し振りだ…”の声が聞こえていました。
 2012年からボランティア訪問を通して漁師さん達と強い絆を築いた殿田顧問の主役の座を、初回訪問で完全に奪った三遊亭遊子でした。

 熱気に包まれた落語会が終わった後は、東久留米のケーキ工房シャモアから持参した和菓子とクッキーを食べながら懇親会を開催。

 「寄木地区 復興の歩み」パネルで震災後からの復興状況の説明を受けた参加者は、改めて災害の大きさと集団移転して現在に至るまでの大変な苦労を感じていました。

                           氷川台自治会

【いきいき倶楽部】「ぶらり街歩きの会」第1弾「谷中めぐり」ガイド付き散策♪

    今年4月に「氷川台自治会いきいき倶楽部」が発足し、「昼食会」「夕涼み会企画参加」「ゲートボールクラブ立ち上げ」「ハイキング会」等々順調に活動しています。そして、新企画「ぶらり街歩き」第1弾「谷中めぐり」が11月14日、実施されました。

   「ぶらり街歩き」は、氷川台を飛び出して、会員の興味を引くような街を、ぶらりと歩こうというもので、その第1弾として、「谷中めぐり」が選ばれました。企画は米澤・西村両世話人です。
9時過ぎに東久留米駅に集合した8名の参加者は、自己紹介をして、そして出発です。

 池袋で山手線に乗り換え、日暮里へ。日暮里駅でガイドさんと合流します。

NPO法人「東京シティガイドクラブ」谷中エリア担当のガイドさん、地図を配り今日の案内コースを説明してくれます

ガイドさんを先頭に、街歩き開始です

老舗のせんべい屋の前を通ります

    谷中は、江戸期には寺町として多くの寺院がありました。それは現在にも残され、何軒もの寺院が並んでいます。まずは、本行寺⇒経王寺⇒天王寺の順に巡ります。本行寺は「月見寺」とも呼ばれ、江戸時代の景勝地であり、古くは戦国時代、太田道灌の物見塚がありました。
   隣接の経王寺の門扉には、慶応4年(1868)の上野戦争で敗走した彰義隊兵士がかくまわれ、新政府軍に打ち込まれた銃弾の跡が、貫通した穴として残っていました。

 いったん寺町を離れ、狭い路地に入ります。「初音小路」の看板がありました。小料理屋や居酒屋が並び、人と人がすれ違うのに苦労するほどですが、屋根のついたアーケード風のこの路地は、知る人の多い人気のスポットだそうです。目的地へは少し遠回りのようですが、こちらのほうが楽しいでしょうと、ガイドさんが案内してくれました。この先もさらに曲がりくねった路地が続きました。

 路地を抜け、幸田露伴の旧宅跡を経て、天王寺へ。この寺は、幸田露伴の小説「五重塔」のモデルとなった五重塔が建っていたことで有名です。塔はその後心中事件で焼失してしまいました。また、天王寺は、現在の宝くじに当たる「富くじ」の興行(公開抽選会)が行われたことでも有名です。大きな興行は3か所あり、「江戸の三富」と呼ばれたうちの1か所です。

 明治期になり、10万㎡の境内敷地が政府に接収されて「谷中墓地」となり、その後、都営の「谷中霊園」となりました。

谷中霊園を散策

 

 霊園は、開園以来150年に及ぶため、歴史に名を刻んだ人々の墓が多くあり、そのいくつかを案内・解説してもらいます。それは、徳川第15代将軍慶喜・渋沢栄一・横山大観・鳩山一郎等々。
 霊園を出ると観音寺の「築地塀」に突き当たります。40mに及ぶこの塀は、幕末に築造されたそうで、都内にこれほどの規模で現存しているのは珍しいそうで、「寺町谷中」のシンボルの一つとして、台東区の「まちかど賞」を受賞し、現在は国指定文化財となっています。

 築地塀を過ぎると「朝倉彫塑館」の前へ、残念ながらこの日は休館日でしたが、ここは、明治から昭和にかけて活躍し、「日本のロダン」といわれた、彫刻家・朝倉文夫の住居・アトリエで、建物は国指定名勝・重要文化財に指定されています。もちろん、朝倉文夫の作品や遺品を展示する美術館でもあります。

屋根の上にも作品が

 少し進んで、「夕やけだんだん」に到着。坂にある40段ほどの階段は、夕焼けの絶景ポイントだということで、一般公募で「夕やけだんだん」の名になったそうです。

「夕やけだんだん」上で記念撮影、この後ろに夕焼けが映えますが、まだ昼なので残念

「夕やけだんだん」下でも記念撮影

 「夕やけだんだん」を降りると、そこは「谷中ぎんざ」です。100mほどの通りは、観光客でにぎわっていました。

 「谷中ぎんざ」を抜けると、そこは千駄木です。ここで、3時間を超える散策は終了です。

四川料理の名店「天外天」で昼食、帰途につきました

 散策を終わって、参加者の皆さんは、「プロのガイドさんの解説は、説明板に書いてないエピソードなどを話してくれて、興味深く見学できました」と、感想を漏らしました。それに意を強くした担当世話人には、次の企画が浮かんできているようでした。

                             氷川台自治会

【東日本大震災復興支援】震災から8年7ヶ月“つながる”南三陸町歌津と氷川台自治会‼(その1)

   震災から8年7ヶ月。11月4日から2泊3日で、氷川台自治会が被災地支援活動を続けている南三陸歌津寄木地区の漁師さん達の処へ、自治会会員、社会福祉協議会、FMひがしくるめからの参加者も含め16名で行ってきました。
   震災翌年から、春(養殖ワカメ収穫)と秋(養殖ワカメ種付け作業)の訪問を繰り返し、漁師さん家族と交流を深め、氷川台自治会と南三陸町歌津寄木地区の漁師さん家族との間には親戚以上の固い「絆」が出来上がっています。震災時の話を聞いて一緒に悲しんだり、励ましたり、夜は漁師さん達と酒を飲みながら笑ったり「あの人がこの人が」と知り合いも増えて一つの「大きな家族」になって来ています。震災翌年から始めた交流も今回で9回目の被災地訪問になり、その間に漁師さん家族が3回にわたり氷川台を訪問して来て東京見物を楽しんできました。

南三陸町歌津寄木支援ツアー紀行
第1日目:11月4日(月):氷川台自治会~南三陸町歌津寄木の漁師さん達のもとへ

 今回の参加者16名のうち初参加者5名のために常磐高速道路経由で南三陸町を目指しました。東日本大震災で被災した福島原子力発電所の放射能汚染で現在も続く帰宅困難区域の中通り、南三陸町の津波被害と違った放射能汚染被害の現状を知ってもらう目的でした。

中型バスで氷川台を出発

福島県内に入ると中間貯蔵輸送車両ダンプの行列で走行速度も70㎞/hに規制されています。

車窓外には放射線量を示す表示板が、現在の放射線量を表示しています。

大型ビニールハウスだったようですが、8年7ヶ月の風雨に曝されて無残な姿になっています。

朝7時30分に氷川台を出発した一行は常磐高速道路で福島原発放射能汚染被害を目のあたりにして、13時30分に南三陸さんさん商店街(南三陸町復興シンボル)に到着しました。

皆さんが楽しみにしていた昼食場所。南三陸さんさん商店街。

三陸の海の幸が並びます。

   東日本大震災で町の職員ら43人が犠牲となった宮城県南三陸町の防災対策庁舎は、鉄骨の補強や塗装がされ、河川堤防や仮置き場の土砂に囲まれて、赤茶色の骨組みの頭部だけが見える状態でした。

【参考】
2012年に支援活動を始めた時に立ち寄った防災対策庁舎の姿。

「南三陸さんさん商店街」思い思いの三陸の幸を堪能した後、バスは15時頃に漁師さんたちが待つ防集移転団地内の「寄木・韮の浜地区集会所」に到着しました。大勢の漁師さんたちの出迎えを受けた中で、特に殿田顧問は抱き合ったり肩を組んだりと久し振りの再開を喜んでいました。

宿舎に向かう前に漁師さんたちのホームグランド「寄木漁港」に立ち寄り、畠山鉄雄さんから氷川台自治会と漁師さん達との「絆」について説明を聞く参加者。建っているのが荷揚げ用のクレーン。銘板を覗き込む会員

【参考】 寄木漁港に荷揚げ用クレーンが設置された経緯を伝える読売新聞記事(2015.3.25 朝刊)

【クレーン基礎の銘板】 寄木漁港クレーン設置事業寄付者名簿「東久留米市 氷川台自治会」

いつもお世話になっている民宿ニュー泊崎荘に到着

毎度のことながら、夕食のテーブルには食べきらないほどの海の幸を前に今日の旅を振り返りながら楽しい食事でした。

13品の豪華な海の幸

 今回始めて作業支援活動に参加した方々は、早朝から漁港で作業手伝いをしたり漁師さんの話を聞いたりして養殖作業の一部を体験しました。また午後から「寄木・韮の浜地区集会所」での昼食会や落語会・懇親会で漁師さん家族と沢山の話をして、2012年から続く氷川台自治会と寄木漁師家族との「強い絆」をあらためて認識しました。
                                                                                         氷川台自治会

【いきいき倶楽部】第7回秋のハイキング会~天覧山から高麗峠・高麗神社へ♪

    11月8日(金)第7回春のハイキング会を実施しました。今回も絶好のハイキング日和に恵まれ、参加者9名が東久留米駅に集合しました。

東久留米駅の改札口を入ったコンコースからは、雲一つない晴天に、富士山もくっきりと見えます

 東久留米を出発して1時間、飯能駅に到着。飯能の街中を15分ほど歩くと能仁寺に到着。ここが天覧山の登山口です。

まずは、能仁寺をお参りして、登山開始

能仁寺を過ぎると、すぐに登山道になります

徳川5代将軍綱吉の生母桂昌院が寄進した十六羅漢の石像を過ぎると、間もなく頂上です

 氷川台自治会いきいき倶楽部・ハイキング担当の清水世話人は、もう少しきついコースを提案したのですが、前回の「琴平ハイキングコース」が意外にきつかったことから、前回参加者から「きつい」との声がありました。登山家である清水世話人はこの声を受けて、しぶしぶコースを変更、この天覧山コースになりました。

今回の最高峰?天覧山山頂で記念撮影

頂上の眺望はすばらしく、東久留米駅で見たのと同じ富士山がくっきり見えます

 山頂から少し下ったところにある開けた広場のベンチで、早めの昼食です。山男の清水世話人が沸かしてくれた、入れたてのコーヒーが振舞われました。

2か所のテーブルで昼食

 十分に休息を取り、第2のピーク・高麗峠を目指します。緩やかな登りを進み、間もなく到着しました。

高麗峠で記念撮影

 高麗峠を下り、高麗川に到着。ここで山道は終わりです。高麗川にかかる沈下橋を渡ると、そこは巾着田です。

沈下橋には先日の大雨で氾濫した川の名残の流木が引っかかったり、のし上がったり、足を取られないように気を付けて渡りました

巾着田には、曼殊沙華はもう咲いていません、株の周りには川の氾濫で流れ寄せた木の枝などが絡まりついており、大雨の威力を感じさせます

 今回のハイキングポスターのコース案内には「余裕があれば高麗神社へ」とあり、参加者全員が、余裕あり・まだ昼を過ぎたばかりということで、行くことになりました。巾着田から高麗神社までは2キロ弱ということでしたが、平坦な舗装道路を、行けども行けどもなかなか到着しません。皆さんへとへとになって、やっと到着しました。

高麗神社

高麗神社の不思議な扁額、1.300年前に、唐・新羅連合軍に敗れた高句麗の貴族や僧侶が移り住んだという高麗郷の由来を物語っているのでしょうか

神社の裏には、高麗神社の神職「高麗」家の住んでいた茅葺の立派な家が保存されていました、400年前のものです

 高麗神社でゆっくり休息し、JR高麗川駅へ、八高線で東飯能、徒歩で飯能と乗り継ぎ、帰途へ着きました。

 今回も「自治会のイベント日は晴れ」のジンクス通り、快晴に恵まれました。コースも、高麗神社は少々遠かったけれど、「きつい」という愚痴もなく、変化に富んだものでした。参加の皆さんも常連+新加入のバランスが良く、前回と同じ9名と、まとまりのよいクルーでした。

                           氷川台自治会

【地域コミュニティ・協働】「社会福祉法人・事業所が地域を知り、地域とつながるためのセミナー」で「ライフパートナーこぶし・氷川台自治会」の協働事例を報告!!

    11月7日(木)午後、ベルナール九段Room4において「社会福祉法人・事業所が地域を知り、地域とつながるためのセミナー」が開催されました。

    これは、東京都社会福祉協議会・東京都地域公益活動推進協議会が主催するものです。社会福祉法により、社会福祉法人は「地域における公益的な取り組み」が責務とされ、各法人の取り組みは広がりを見せていますが、一方では「地域のニーズをつかめない」「地域とどのようにつながればよいのか」との声も聞こえることから、協議会によりこのセミナーが企画されました。

広い会場には、社会福祉法人に関わる大勢の関係者が参集しました

    セミナーの第1部は、長年「地域福祉・福祉への住民参加」の実践と研究を続けている、ルーテル学院大学大学院・和田敏明名誉教授が「地域とは、地域とつながるためには」と題して講演。
第2部は、都内にある社会福祉法人から3法人を選び、それぞれの地域で実践している公益的な取組みを報告するものです。それぞれの法人の報告にはコメンテーターとして、和田名誉教授が参加し、各法人の事例報告ごとにいくつかの質問と、簡単な批評をしてくれます。

講演講師・実践報告コメンテーターをつとめた和田名誉教授

セミナーの講演・実践報告のレジュメ表紙

    3法人の1つに選ばれた「社会福祉法人・龍鳳 ライフパートナーこぶし」はトップバッターとして実践報告をします。法人の佐藤和幸・経営本部長が「誰もが笑顔でずっと暮らせるまちに~地域住民と福祉施設が取り組む住みやすいまちづくり~」と題し、ライフパートナーこぶしが氷川台自治会に入会してからの9年間の、自治会との協働による取り組みを事例発表しました。

事例発表をする佐藤・経営本部長

    パワーポイントの映像を交えての報告では、【2011年】騒音問題で近隣に謝罪の日々を送る中で、自治会加入の誘いを受け入会したことが、地域(自治会)との関わりの始まりとして、【2014年】自治会主催のイベントに参加開始(施設で作った焼き菓子販売等)し、さらに災害時相互協力開始(災害時支援協定の締結)、【2017年】コミュニティバス運行開始(車の提供⇔運転手の提供)、とお互いの需要と供給の「いいとこ取り」をして、おぎない合い、関りから協働へと発展した経緯を解説しました。

報告の1画面

報告の1画面

 佐藤・経営本部長の報告後、これらの取り組みの氷川台自治会サイドからの観点を、自治会馬場会員が補足説明し、「自治会内にライフパートナーこぶしがあったことは、自治会にとって幸運でした」と締めくくりました。

氷川台自治会・馬場会員の補足説明

 発表後、コメンテーター・和田名誉教授から、「施設と地域が力を出し合い、よく考えて協働企画として進めており、すばらしい活動だと思います」との評価をいただき、参加者からもおおきな拍手をいただきました。

                                                                                    氷川台自治会

【地域コミュニティ】元気で明るい自治会づくりはふるさとづくり‼

    10月28日(月)、福島市吾妻支所 吾妻地区自治振興協議会の皆さんが氷川台自治会の活動視察研修に来訪されました。研修タイトルが「元気で明るい自治会づくりはふるさとづくり」で、氷川台自治会が掲げる活動スローガン“安心・安全で暮らしやすいまち「氷川台」、元気で明るい自治会をみんなでつくろう‼”に通じるものがあります。

研修会場の市役所701会議室

   吾妻地区は福島市の西部に位置し、地区の中には4つ(野田、庭坂、庭塚、水保)の地区があり、さらに4つの地区の中にそれぞれ町内会や区を有しています。ほとんどが住宅地となった「野田地区」、田んぼや桃・なし・りんごなどの果樹地帯が広がる「庭坂地区」「庭塚地区」「水保地区」とそれぞれ異なる特徴を持っており、各町内会の抱える悩みや課題も多岐にわたり様々とのことでした。

 事例紹介をする殿田顧問

    講演は、殿田顧問が「自分たちのまちは自分たちで創っていく」と題して、氷川台自治会が平成22年から平成30年にかけて実践した課題の捉え方や分析手法をその時々のエピソードを交えて紹介しました。

質問をする地区代表者の皆さん

    講演終了後の質疑応答では、吾妻地区から参加された町会長や区長の皆さんは予想をはるかに超える活動事例や、その活動が活発になると相乗効果を生み、素晴らしいコミュニティの醸成に繋がっているのに驚かれていました。また、役員に負担が掛からない組織の作り方、多種多様なサークルやイベントを途切れることなく続ける手法など、時間を超えて質問が途切れることがありませんでした。

                                                                                                 氷川台自治会

【活性化対策】第4回・三遊亭遊子落語会・熱演に笑いの渦に包まれた氷川台会館~演技に吸い込まれて客席は大爆笑♪

   10月27日(日)、氷川台会館において、「氷川台の遊子」こと三遊亭遊子落語会を開催しました。

   第4回の今回からは、氷川台自治会いきいき倶楽部の「落語・演芸」イベントとして、継続することになり、今後は、寄席へのツアーなども視野に入れています。これらを担当するのは、3組1班の保坂世話人です。三遊亭遊子の実父である保坂世話人の挨拶と遊子の紹介で開幕です。

 東久留米市出身の三遊亭遊子は、三遊亭遊三門下生で、落語芸術協会二ツ目です。現在、真打を目指して修行中です。
 紋付で高座に上がった遊子さん、枕に続く出し物は「宗論」。「宗論は、どちら負けても釈迦の恥」ということわざからつけられたものです。浄土真宗の旦那の息子が、キリスト教の信者になってしまい、親子で言い争います。

 二ツ目(?)の演目は「子ほめ」。仲間のひとりに赤ん坊ができたのを聞きつけ、その赤ん坊をほめて、ただ酒にありつこうとする八五郎のドジ噺。

 最後は、「看板のピン」。ばくち好きの男が、親分のいかさま博打を見て、感心し、素人相手にそれを真似てやってみるが、見事失敗、大損をしてしまう・・・。「ピン」とは、サイコロの「一」の目のこと。

 遊子さんは、この3つの話をうまくつなげ、高座を降りることなく1時間にわたり熱演しました。

 今回の出し物は、ドジで間抜けな主人公の「三題噺」で、遊子さんのよく通る声と、百面相ともいえる表情の変化や演技で客席は爆笑に包まれました。4回目ともなった客席は、多くのおなじみさんに、初めてのお客さんが加わり、氷川台会館は、常打ちの演芸館になっていました。

                              氷川台自治会

【高齢者対策】自分たちが住むまち、東久留米をもっと知ろう!いきいき倶楽部“まちあるきの会”発足‼

   今年4月に「氷川台自治会いきいき倶楽部」が発足しました。自治会の65歳以上の会員相互が「支え合い・助け合い」の活動組織を自ら創り、地域のニーズに応じた様々な活動を展開することで、高齢者の生きがいと健康づくりを進めるための活動を開始しました。倶楽部は既に、2度の「昼食会」「夕涼み会企画参加」「ゲートボールクラブ立ち上げ」と順調に活動しています。気持のよい季節になった10月24日「まちあるき」が行われました。「身近なのによく知らないところを、もっと知ろう」と企画されました。小手調べの初回ということで、氷川台から最も近い、5か所の史跡を巡る1時間半ほどのミニコースです。
   参加会員16名は、自治会の本拠地・小山台遊園に集合し、西武鉄道を越えた小山地区の

     小山茶園⇒小山台遺跡公園⇒子ノ神社⇒大円寺⇒力石

を巡ります。

歩きなれた町内を進み踏切を渡ります。

「小山茶園」は、氷川台からは、直線距離なら100メートルもありません

      もともと茶畑の多かった東久留米市に残る数少ない茶畑で、市の管理下、有志の団体「小山茶園サポーターズクラブ」が栽培し、毎年夏前に収穫、製茶しています。こんなに近くでも、「初めて見た」という人もおりました。かわいい白い花も咲いていました。

咲いていた茶の花

    5分ほどで隣接の「小山台遺跡公園」へ。2万年前の旧石器時代から、人々が生活していたことが知られています。1970年の発掘調査では、縄文時代中期(約5千年前)の住居跡が3軒発見され、大きな縄文ムラがあったことも明らかになりました。崖下には黒目川が流れ、近くには湧水も出ていた暮らしやすい場所だったのでしょう。
復元された竪穴住居の前で、案内・解説係の馬場世話人が、30年前、近隣の工事現場から転がり落ちた土器片を、参加者に触ってもらいながら、元の器に似た縄文土器の写真を示して説明します。
また、現在は小山台遺跡公園と氷川台自治会は西武池袋線を挟んで分断されていますが、西武池袋線が建設される前は小山台遺跡公園も氷川台自治会も地続きで同じ台地(雑木林)に位置していました。以前には氷川台自治会で住宅が建設される際に縄文土器片が出土したこともあるそうです。

復元された竪穴住居前で    右下が近隣出土の縄文土器片(長さ6㎝)

 さらに隣接の「子ノ神社」へ。関ケ原の合戦(1600年)、のころの創建で、大国主命を祀っています。普段はほとんど参拝客がなく、森閑としていますが、元日には、初詣客に甘酒がふるまわれてにぎわうと、参加会員が体験を話してくれました。

子ノ神社拝殿。200年前に建立、明治期に2度修復

    黒目川まで下って「大円寺」です。9世紀初期、円仁が創建したという天台宗の古刹です。この寺には「旧下里村」の秩父道(現・所沢街道)沿いにあった「庚申塔」等の石塔が移築されています。中でも「ゴリゴリ馬頭」は有名です。馬頭観音は馬の供養や交通安全を祈願した石塔で、これは道標も兼ねており「板橋五里・八王子五里・川越五里・四谷五里」の銘文が刻まれていることから『ゴリゴリ馬頭』と呼ばれています。

「ゴリゴリ馬頭」の説明

集合写真

    最後は、黒目川を少しさかのぼった道端にある力石です。「曲橋・中橋・落馬橋」三橋の石橋供養塔があり、その下に3つの力石があります。農村の若者が祭などで力比べに使ったものです。いちばん大きな石は45貫(170㎏)あり、石に重さが刻まれています。
    こんな伝説が・・・昔、この大石を背負って坂を上り下りした者にこの石をあげようという話になり、力自慢の徳さんが見事実現、以来「徳さんの石」と呼ばれたと言うことです。
   力石を知っていた人は多くなく、車止めだと思っていたという人もおりました。

「力石」、自動車が頻繁に通る変則十字路沿いにあるため、力石の両側に寄って説明を聞きます。

 見学を終わって、参加者の皆さんは、「遺跡や寺社の存在は知っていたが、詳しい由来等は初めて知った」と口々にしました。まずは有意義な企画だったといえるでしょう。終了時に出た意見を生かして、今後は、「昼食会」を取り入れるなどして、自分たちの住む東久留米のことをもっと知るようにしたいと思います。
                  

                                                                                           氷川台自治会

第24回文化の継承~平家音楽をめぐる学問/芸術/文芸~「蛙の聲名」と平曲「名虎」12月1日(日)15時

聖グレゴリオの家2019年12月のイベント

聖グレゴリオの家
氷川台自治会の会員である『聖グレゴリオの家 宗教音楽研究所』は,祈り,研究,教育を目的として1979年に設立されました。以来,大変にゆっくりとした歩みですが,祈り,研究,教育の三本の柱を中心としてその目的に向かって様ざまな可能性を試みています。