【小山台遊園今昔】初めてしるされた小山台遊園の名前♪ 201711月13日

  氷川台自治会の活動拠点氷川台会館に隣接する小山台遊園に初めて「小山台遊園」の看板が掲げられました。今まで公園に遊びに来た人は、氷川台自治会の中に在るから「氷川台公園」と思いこんでいましたが、「氷川台公園」は氷川台自治会エリア外に実在しています。公園名が記されている看板もなかったため会員の皆さんも間違うことが度々ありました。今回、氷川台会館で小学生の習字教室を開いている下瀬梨恵さんに「小山台遊園」と書き入れて貰い入口に掲げました。

「小山台遊園」と記された看板が取り付けられました。

「小山台遊園」と書かれた銘板は、先日まで6年間に渡り「氷川台農園」の看板として活躍してきました。銘板の第2の人生は「小山台遊園」入口で子どもたちを見守ってくれます。6年間に渡り「氷川台農園」で活躍した銘板も風雨にさらされて右側が朽ちて少し小ぶりになりました。

平成24年1月に取り付けられた「氷川台農園」看板

  小山台遊園の歴史は1970年から始まっています。1956年から開発分譲された西武住宅での飲料水は、西武住宅各戸の共同所有の大型汲み上げ井戸で鉄骨の塔の上のタンクに電動式のモーターで汲み上げ、各家に水道管を引いて蛇口で給水すると言う物でした。従って停電すると、水が止まり何時間も水が出ないので皆さんは大きなバケツに何杯も非常用の水を蓄えるという状況だったそうです。

稼動中の水道タンク

   この井戸の停電や故障に備えて、各戸の代表を選出し、順番で緊急時に備える為に出来たのが 小山台水道組合(氷川台自治会の発祥)だったそうです。

 井戸水の分配を何年か我慢して続けましたが、とうとう、何とかしなければと云うことになり、水道の町営移管を本気で考えるようになり、準備に入りましたが、実行には幾多の難関が待ち受けていたそうです。それには、汲み上げ水道のあった土地(現在の小山台遊園) をどうするかです。

 土地は、自治会各戸の共有になっており、売るにしても貸すにしても、一戸一戸全員の契約書を作らなければならず困難を極めたそうです。考え出されたのが、当時氷川台自治会出身の町会議員を通じて、町営水道の引き込みを町に御願いして、町営となりやっと断水の恐れから解放されることになったそうです。町営移管に伴い井戸水を揚水していた井戸も不要になり、井戸があった土地も東久留米市に寄付されたそうです。

    東久留米市は、氷川台自治会から寄付された土地に児童遊園を建設して開放したのが現在の小山台遊園です。1970年(昭和45年)は第2次ベビーブームの始まりで、氷川台自治会(当時、小山台自治会)にも大勢の子どもがいたのではと推測できます。

小山台遊園用地を寄付した当時の感謝状、何故か寄付先は「久留米町」、感謝状は東久留米市長から。   昭和45年の市制施行と同時に「久留米町」から「東久留米市」自治体名を改称された名残と思われます。

昔、井戸があった土地は小山台遊園として活用されています。

  小山台遊園の土地が東久留米市に寄付されずに、氷川台自治会が所有し続けていれば…?保育園を誘致出来た、もっと大きな会館が建設出来たなど話は尽きません。ただ現在の小山台遊園は、地域の人たちの憩いの場となり、遊具も管理された子どもたちの遊び場となり、地域のイベント舞台として活用され、地域活性化に無くてはならない“広場”として地域に貢献しています。

                                 氷川台自治会 殿田 俊三