2014年7月 「AED」を習いたい
最近、AEDを備え付けてあるところが目につくようになりました。公共機関・デパート・スーパー・駅等々。緊急時にAEDを使って一命をとりとめた人が増えた証だと思っています。私も機会があったなら、是非AEDの操作を習っておきたいと思っておりました。
そんな折、自治会だより38号の『6月1日の防災訓練で「心肺蘇生」と「AED」の訓練があるのでふるってご参加ください』という記事が目にとまり、参加することにしました。当日、会館の参加者は20名ほどでしたので、消防隊員の方が「心肺蘇生」と「AED」のグループに半数ずつに分けて訓練を始めました。私は「心肺蘇生」のグループでしたので、重度後遺症を防ぐ「胸部圧迫」の訓練を受けました。まず、上半身のダミー人形のみぞおちの上の胸骨を両手の手のひらを重ねて揃え、脈拍の速度で圧迫したり緩めたりを繰り返し続けました。
「AED」は止まった心臓を動かす操作であり、「心肺蘇生」は後遺症を防ぐ訓練ですから、この2種類の訓練を合わせて受けることが大切だと思います。今回、私は「胸部圧迫」の訓練しか受けられませんでしたが、またこのような訓練の機会を設けてほしいと思っています。「AED」機器に直接触れて訓練ができるような、ゆとりのある時間設定をお願いしたいと思っています。 【2組3班 藏薗 柏・82歳】
「心肺蘇生」訓練を受ける藏薗さん
☆この年、6月1日の防災訓練は予想外の真夏日となったため、参加高齢者に配慮して、時間を大幅に短縮して実施したため、藏薗さんの希望していたAEDの訓練は受けられませんでした。しかしながら、いくつかの病気を抱える藏薗さんは実に前向き・積極的に毎日を過ごしています。この直後には見守りネットワークの一環である「健康体操」に参加、今年(2015)4月開講の「第2期パソコン教室」に、全くの未経験ながら参加しています。このように家の外に出て他とかかわりを持とうとする高齢者が増えつつあります。
2014年8月 『パソコン教室』順調
4月に開設した『パソコン教室』は順調です。清水室長(4組3班)のわかりやすい講義でカリキュラム通りに進んでいます。私と福田さん(4組3班)がアシスタントをつとめています。基本用語・基本操作から始まり、インターネットへのつなぎ方へ。そして、ワード(ワープロソフト)へとすすみました。ワープロは、ページ設定等の操作が多く、特にキーボードからの文字入力に、皆さん四苦八苦していました。さらに写真やカットを取り入れる作業へ……これらを繰り返し練習し、出された課題が「暑中見舞い状」の作成です。7月22日の第8回で、皆さん見事に完成させました。出来上がった「暑中見舞い状」は自治会館の壁に展示されました。写真はそれに見入る受講生の皆さんです。しばらく展示していますので、会館に立ち寄った会員の皆さん、是非ご覧下さい。【2組3班 馬場 定美】
パソコン教室開設
作品発表「暑中見舞い状」

☆自治会会員1000名の中には、多彩な才能が眠っています。ただ、周囲にその存在を知られていないだけです。自治会の行事に参加した会員たちのふれあいから、それらの才能が顕在化します。そんな1人がパソコンのプロ清水さん。
「住まいの近くでパソコンを習いたい」という会員の声を受けて、清水さんを室長に「パソコン教室」が開設されました。平均年齢70歳を超える11名の生徒さんは、その大半がパソコン未経験です。その生徒さんが、第8回までの講義で、暑中見舞い状を完成させました。ですが、技術の上達だけが目的ではありません。実習時間や休憩時間の隣席とのおしゃべりが、何より楽しいようです。清水室長もそれをよく見極めて、ゆったりしたカリキュラムで進めています。
今年3月に1年間の教室が終了、好評のため4月から、あらたに第2期の教室が開設されました。
第1期受講生のうち、半数が留年を希望し、参加しました。その感想は『楽しい!』です。
第2期パソコン教室開設
2014年9月 トレードに出された北多摩郡
最近、調べ事をしていて、現在の東久留米が明治半ば頃まで神奈川県に帰属していたことを知った。北多摩郡は明治26年に政令により東京府に移されたが、表向きの理由は東京が多摩水系に大きく依存していたためとある。だが実際には当時の政権政党(立憲改進党)と野党である自由党との政争の所産であったようで、多摩地域一帯に強力な選挙地盤を持っていた自由党の勢いを人口の多い東京府に移すことでその党勢を薄めるための措置だったらしい。国内で言うなら県境や市境の変更、そして国際レベルで言うなら領土区割りには、何時の世にも胡散臭さが付いて回る。何はともあれ多摩川と地元湧水のお蔭なのであろう、東久留米に移り住んで以来、水に不便した記憶がない。
ところで現在の氷川台の「台」と言う文字は、当地が黒目川と落合川を挟みこむ河岸段丘地帯の上に在ることに由来しているようだ。東久留米駅から西武住宅へ向かって線路沿いの道を登る時、或いは学芸大国際学生宿舎脇の坂道を上る時には、その「台地」に踏み上がろうとしていることを時々意識する。
目下は、「足腰の鍛錬には持ってこいの坂道だ。」などと強がりを言っているものの、「今年六十のおじいさん」に決別(?) してさらに十三歳を上積みした自分、遠からず気息奄々の坂道になることを予感している。それでも好きになってしまった氷川台ではある。
欲を言えばキリがないが、氷川台自治会領域内に日常の必要食材・雑貨を扱ってくれるスーパーと医療施設があってくれれば万々歳なのだが。【1組1班 中島壮太】

☆中島さんも、このころ顕在化した多彩な才能の1人です。氷川台自治会が創設される以前、鉄道会社が開発した住宅街(西武住宅)に最初に入居した1人です。自らと仲間たちを「原住民」と呼んでいます。この「原住民」の60年に及ぶ氷川台生活を「氷川台アーカイブ」という1時間ほどの映像(DVD)にまとめました。その試写会が「原住民」の皆さんが集まって自治会館でありました。その席に招かれた殿田自治会長が試写会後、「原住民」だけでなく「新住民」も含めた自治会版の作成を依頼。中島さんは、新たな取材を重ねて短期間でそれを完成、自治会員への試写会も実施しました。

この「氷川台アーカイブ」作成の前年、中島さんは海外メディアの映像を中心とした「東北大震災」というプライベート作品を作成しています。その動機は『欧米メディアの視点が、被災者の心の痛みを訴えようとする姿勢・復興状況をやさしい心でもって継続的に取材・報道をしている』ことでした。

この2つの作品はどちらも静止画を中心に、映像に合わせて計算したバックミュージックを入れています。試写を見た皆さんも、内容はもとよりですが、そこを高く評価しています。
中島さんは、その後、自治会の依頼で「第2回要配慮者支援避難訓練」「餅つき大会」の2行事の記録動画も作成してくれました。
