介護予防講演会に参加して 2015年5月22日

 介護予防講演会に参加して  (東久留米市福祉保健部健康課主催)

~今、話題の “ロコモ” 皆さん、ご存知ですか?~

東久留米医師会副会長の子田純夫先生(子田整形外科院長)の講演と初めて目にする演題につられて氷川台自治会会員有志5名参加して来ました。

???????????????????????????????   ???????????????????????????????

ご存知ですか~? 全く知りませんでした~!

  522()1330~、市民プラザホールは今回の講演会の呼び掛けキャッチフレーズに興味を持たれたのか、介護予防に真剣に向き合われている方々か、老々男女(高齢者)で満員に近い状態でした。ロコモ(ロコモティブシンドローム)とは「骨や関節、筋肉など、体を支えたり動かしたりする運動器の機能が低下し、移動に障害が出た状態」のことを云うそうです。

 団塊の世代が後期高齢者(75歳以上)になる2025年には間違いなく超高齢化社会がやって来て4人に一人が後期高齢者になると推測されています。東久留米市でも65歳以上の人口は30,388人、高齢化率は26.1(26101日現在)と年々増加しており、要支援・要介護認定者数も平成18年から毎年15%前後の増加率で増え続けているそうです。なかでも新規認定者の原因疾患は整形外科疾患が第一位で33%弱(他の原因疾患の約2)を占めているとのデーターが示されました。また、平均寿命と健康寿命の差が男女平均で10年程度あり、「生きていても日常生活に制限がある期間が10年もある」との説明には真剣に考えさせられました。

 “住み慣れた場所にいつまでも楽しく暮らし続けたい”と願うならば、健康寿命を伸ばさなくてはなりません。健康寿命に大きく影響するのは「移動能力」、立つ・歩く・走る・のぼるなど、日常生活に必要な体を移動させる能力だそうです。氷川台自治会では平成2410月から健康体操教室を開催して2年半になります。毎週水曜日に午前(65歳~74)と午後(75歳以上)2クラスに分かれて専門トレーナーの指導でそれぞれ1315名の皆さんがロコモ予防に努めています。一人で続けるのは大変ですが、仲間が集まって楽しくやれば、いつの間にか効果があらわれ参加者の皆さんはロコモ予防を続けていた訳です。

 今回の講演会に参加して、初めて耳にする「ロコモ」の言葉でしたが、「ロコモ」にならないためには医者に頼るのではなく自分で努力するしかないことを改めて教えて頂きました。健康に暮らし続ける為の講演会は度々開催されていますので、参加して聞くだけでも大変勉強になります。皆さんも一歩踏み出して参加されたらどうでしょうか。

                                                          氷川台自治会 殿田俊三

「自治会だより」連載『コラム声』特集8 2015年5月

 20151月  要配慮者支援避難訓練に参加

昨年に引き続いての本格的な防災訓練でしたが、やはり第2回目ということで、昨年に比べ進行がスムースで極めてまとまりのよいものでした。しかも参加者が理解を深めやすい、内容の濃い訓練であったと思います。特に昨年の反省会で出た改良点の多くが確実に取り入れられ、スペースの効率的利用、高齢者への配慮、各訓練の事前説明、時間配分等に顕著な改善が見られたと思います。

今回、訓練の成功も殿田自治会長の強力なリーダーシップと、全面的協力を惜しまなかった各役員や支援隊員の熱意の賜物であり、深い敬意と心からの感謝を申し上げます。

今後も皆さんの努力と熱意で、氷川台自治会のさまざまな活動がさらに発展・活発化し、東久留米市のみならず全国各地の自治体の模範となるような成長を遂げていくことを願うとともに、そうなることを信じています。53班 内田 傳之助

 1避難訓練の写真係として活躍中の内田さん

 ☆内田さんは、80歳の高齢ながら防災会役員・要配慮者支援隊員を引き受けています。自治会ゴルフ同好会の会員としても活躍しています。第1回・2回の避難訓練では、写真係・レポーターとして活躍しました。訓練の様子を冷静に見つめ、的確なレポートを作成してくれました。第2回避難訓練の準備会では、この第1回レポートを参考にし、充実した内容を企画することができました。写真係としても訓練の準備作業から、終了後の撤収作業まで、丹念に撮影してくれました。自治会だより「避難訓練特集号」に載せた写真の大半は、内田さんの作品です。

2   テント張り

3    炊出し準備

4  テント撤収

 

20152月  大きな家族としての氷川台自治会

自治会役員および年度途中からはイベント企画・実施委員会委員として、さまざまな自治会の活動に関わらせていただきました。数年前に氷川台に引っ越してきたこともあり、役員になる前までは自治会の活動やイベントにまったく参加したことがなく、自治会費を納めるだけの「幽霊会員」だったのですが、いろいろな活動に参加する中で、氷川台自治会の重要性と地域活動に参加する楽しさを体感することができ、役員になれたことをとても感謝しております。

餅つき大会などのいわゆる大きなイベントを自治会が主体で行っていることは以前にもなんとなく知ってはいましたが、見守り隊や避難訓練、成人・敬老の日のお祝いの配布、資源回収、自治会館の運営など多種多様な活動をしていることを知り驚きました。ふれあいサロンや子育てサロンなど、より生活に密着した活動も昨年から始まり、一般の自治会の枠を超えてますますその役割を大きくしていく氷川台自治会の今後の発展がとても楽しみです。そして、その自治会員としてさまざまな活動に参加できることを大変ありがたく思っています。

高齢者の一人暮らしや核家族世帯の増加により、従来家族がその役割を担ってきた社会・福祉サービスの供給が今後の社会保障制度の課題とも聞きますが、氷川台自治会がそうした従来の大家族が担ってきた社会的な役割を補充するような地域の「大きな家族」として発展していくよう願うとともに、その発展に少しでも貢献できるよう大家族の一員として自分にできることを協力していければと思っています。43班 神山 友宏・自治会役員】

5 賀詞交換会で愛息を抱く神山

神山さんも、このころ顕在化した多彩な才能の1人です、それも最も若い人材です。役員会においてイベント委員の選定が諮られた時、すぐに手を挙げてくれました。そこで、殿田会長が、間近に迫った夕涼み会のポスターを作るように依頼、間もなく素晴らしいポスターが作られました。それまでの自治会のポスターは、でかい文字の色気のないものばかりでしたので、新鮮な驚きでした。以後主要な自治会行事のポスターの担当になりました。

 神山さんは、この年、役員としても積極的に取り組み、そのことに喜びを感じています。このような若い力が増えてきています。

6   7  8  9

10

 

20153月  不安からの出発 この1年をかえりみて

 「石橋を叩いて渡る」という言葉がありますが、結婚を機に氷川台に越してきた私は新しい環境に慣れず、「石橋を叩いて、でもやっぱり渡らない」状態でした。「自治会だより」で知った行事の予定をカレンダーに記入するものの、参加することはありませんでした。そんな班内の皆さんの顔も名前も知らない状態の私に、1年前、自治会役員の番が来ました。自治会費の集金から始まり、回覧板等を届ける際に言葉を交わすうちに、挨拶だけでなく、趣味の話をし、氷川台の昔話を聞かせてもらい、相談もできるようになり、立ち話がとても楽しい時間になりました。

 そして、自治会の行事に参加し、こんなに子供が多いのだと感じ、「子育てサロン」の企画がでたとき、担当することを申し出て、今では月2回のサロンで子どもたちと思い切り遊んでいます。また、「防犯ウォーキング」にも、出来るだけ参加するようになりました。そんなある日、小学生の女の子がウォーキングに参加しました。その子が、人やワンちゃんに会う度に「あっ、Aさんだ!」「Bさん~」「C(犬の名)がいる~」と言いました。これを見て、もしもの時に名も知らない大人に助けを求めるのは難しいけれど、自治会行事で会ったことのある大人ならば安心して頼れるなと感じました。

 不安から出発したこの1年、多くの人と知り合うことができ、楽しい年になりました。

12班 遠藤 京子・自治会役員・子育てサロン担当】

11

 ☆なんとなく引きこもりがちだったと思われる遠藤さんは、自治会役員になったことにより、近隣との交流が始まり、それが楽しい日常になりました。そんな折、「子育てサロン」が立ち上がることになり、子供好きの遠藤さんは迷わず担当者に名乗りを上げました。その後、「子育てサロン」での活躍にとどまらす。自治会のイベントには積極的に参加し、はつらつとした姿を見せています。もちろん遠藤さんも最も若い人材の一人です。

??????????????????????????????? 子育てサロンで子どもと遊ぶ遠藤さん

13 社協の歳末助け合い募金にも参加(写右)

「自治会だより」連載『コラム声』特集7  2015年5月

          ☆今回の特集は、201410月~12月の3回分ですが、たまたまこの年の自治会三役が並びました。下の写真はこの年の「富士山バスツアー」の申し込み受け付けをする三役です。左から会計・中村さん、庶務・福島さん、会長・殿田さんです。自治館内で撮影しました。

1

  201410月 『子育てサロン』 楽しい!

企業内の保育所に勤務をして、もう、10年になります。もと、保育園があった跡地にできた公園まで、10分ほどかけて、子供たちと遊びに出かけます。でも、この公園にはジャングルジム・鉄棒等と多くのタイヤがあるだけです。それも、ガラスの破片や大きな石などの危険物だらけで、タバコの吸い殻も散乱しています。子供たちがケガをしないように遊ばせるために、常に気を使わなくてはなりません。

今年、自治会の役員となり、小山台遊園を抜けて自治会館に行くことが多くなりました。改めて遊園を見ると、いつもきれいに整備され、ここで遊ぶ子供たちは幸せだなと感じました。殿田会長をはじめ会員の方々のおかげと感謝しています。そんな折、会長から『子育てサロン』の話があり、世話人としてお手伝いすることになりました。この10年の保育所での経験が役立つと思ったからです。現在は、月2回ですが、楽しく子供たちと遊んでいます。【21班 中村 和子・自治会会計】

2 「子育てサロン」

??????????????????????????????? 子育てサロン」で紙芝居を見せる中村さん 

小山台遊園に隣接する自治会館を地域活性化の活動拠点として238月に自治会館をリニュアールオープンしました。高齢化率35%の高さが自慢()自治会もここ数年若い世代の方々の転入によって子育て世代の会員が増えて来ました。小山台遊園は天気の良い日には、子育て中の会員や近隣(小山・新座市)のママさん達て賑わい、休みの日にはイクメンも多く見受けられるようになりました。会館の有効利用を検討する中で「子育て世代同士の情報交換や交流ができる場がない、子育てに追われて息抜きが出来ない」等の声に応えて、親子で楽しく遊び、交流する場を提供するとともに情報交換・悩み・不安解消を図れる場として「子育てサロン」が企画されました、この「子育てサロン」の開設が、2014年度の最初の役員会で決まりました。席上、その担当者をどのようにするかの話になったとき、新三役・会計の中村さんが「私がやります」と手を挙げました。それに続き同じ新三役・庶務の福島さんが、さらに12班新役員の遠藤さんが名乗りを上げ、世話人に決定しました。その後、3人の世話人は、社会福祉協議会(ミニデイサロン立上げ資金助成)との準備会に参画し、サロンに備える玩具・布団・便座等々も自ら選定・購入し開設に備えました。そして、6月下旬「子育てサロン」は開設されました。

 子育てサロン設立に携わってくれた3名は、役員任期が終わった現在も引き続き子育てサロンの中心メンバーとなり子育てママさん達のよき理解者となっています。

201411月  開かれた自治会館

今年、2組の役員が三役を担当するということで、庶務を引き受けることになりました。その庶務の仕事の一つとして、自治会館の管理に携わることになりました。現在の会館利用状況は、運動系では、健康体操教室・太極拳・フラダンスなど、文科系では、健康マージャン教室・パソコン教室・麺打ち道場など、カルチャーセンターさながらの内容です。さらに、喫茶型の「ふれあいサロン」や「子育てサロンひよこの会」など、地域の方々の交流を深めるための場も増えました。最近では、小学生の「習字教室」も始まり、習い事やパーティーなど、お子さんの利用も盛んです。

定期的な利用だけでなく、空いている日に催し物をするのも可能です。皆さんが、会館で生き生きと楽しいひと時を過ごしているのを見るにつけ、カーテンが閉まってひっそり佇む会館よりも、毎日使われている会館は、ほんとうに地元の会員のために開かれた、有意義な会館だなとつくづく感じている今日この頃です。【22班 福島 真由美・自治会庶務】

??????????????????????????????? 麺打ち道場・うどん踏み‐自治会館にて

☆昭和31年に西武住宅入居と共に建築された井戸水揚水ポンプ管理小屋は、昭和45年に一部増改築され自治会所有会館として利用されて来ました。自治会の歴史を支えてきた自治会館(氷川台会館)老朽化が進み、屋根瓦は既に破損個所も多く早急な修繕が必要な状況となり平成21年度に立替が決定されました。建て替えが決定されても役員1年交代の当時では計画は一向に進まず、建築資金も市の補助金(当時350)に頼るだけの曖昧な計画でした。平成22年度に会館建て替え計画を引継ぎ、設計・見積もり・資金計画に着手しましたら、市の補助金は大幅に減額(35)しかも1/年とのことでした。その後各機関への補助金要請をしましたが土地所有権の問題で不調に終わりました。そこで建替えから改築へ方向転換して手持ち資金内で着手しました。外装をはがした骨組みは、まだしっかりしており、倒壊等の心配がないことも判明しました。工事は、高齢者の利用しやすいバリヤフリー化を取り入れた設計で進み、平成248月に見違えるようになって完成しました。

福島さんが言う「カーテンが閉まってひっそり佇む」旧会館でしたが、改装後2年を過ぎ、空いている日を探すのが一苦労という状況になっています。まさに開かれた自治会館になっています。 

役員の継続により事業が進んだ良い例です。1年交代・輪番制の役員のままでは恐らく現状の姿は無かったものと思います。

??????????????????????????????? 改装直前の旧自治会館

??????????????????????????????? 改装なった自治会館(20128)

 

201412月 要配慮者支援避難訓練を終えて・災害につよい地域づくり

11

☆平成24年の「災害時要援護者支援避難訓練」から、昨年は256月・災害対策基本法の改正により災害時要援護者を要配慮者と変え「要配慮者支援避難訓練」と名を改めました。名称の変更だけでなく第1回避難訓練を踏み台にして訓練内容の充実を図りました。要配慮者の登録受付(85)や要配慮者支援隊組織(54)の強化を図りました。特に災害時に避難行動要支援者の要となる要配慮者支援隊員には自治会名入りのジャンパーを揃え意識の向上と組織の強化を図りました。第2回避難訓練は実践に即した訓練を目的とし、各家庭に用意されている避難グッズを持っての訓練参加や避難行動要支援者宅への支援隊員による安否確認、この年購入のスタンドパイプの操作訓練、自治会独自に各処に設置した街頭消火器を集めての消火訓練等を行い、より充実した内容で実施することができ、訓練の重要性を実感できました。

 ☞避難グッズを用意されている家庭がまだまだ少ないのには驚きました。“備えあれば憂いなし”  まず、基本に戻って、避難備品の備えの拡大を図ることから出発です。

7支援隊勢揃い 

9街頭消火器の取り出し

8要配慮者宅への支援隊による安否確認

10タンドパイプの操作訓練

                                                                                    

 

 

 

 

 

 

 

 

青空野菜市第2弾♪ 2015年5月13日

  513()13001500から第2回目の青空野菜市を開催しました。文字通りの「青空野菜市」でした。台風が過ぎ去った後の暑すぎる程の快晴に恵まれ、小山台遊園隣りの野菜市会場には10人前後の人が時間前から三々五々集まり開店を待っていました。

1   青空市に押し寄せた会員

???????????????????????????????  新鮮野菜を手に満足そうな会員

  422()に実施した第1回目の「青空野菜市」も好天に恵まれ、西東京市の農家さんが持って来てくれた朝採り野菜は開店10分で完売となりました。今回は前回の反省も踏まえて多くの野菜を持ち込んでもらいましたが、開店後15分で95%が売れ、残りの野菜も40分で完売してしまいました。

???????????????????????????????   哀愁漂う後姿のご婦人二人

 最後に買い求められた方は、娘さん時代(数十年前)からこの場所(新城商店)に買い物に通われていた会員さんで、昔を思いだしながら「また、近くで新鮮な野菜を買えるようになって嬉しい」と話されていました。今回の最高齢者は92歳の一人暮らしの女性会員さんでした。この様に、遠くまで買い物に行けないが、近くで開かれる野菜市を楽しみに待っておられる高齢者のために2/月開催(24水曜日)を定例化することにしました。

 皆さん年輪は重ねても、買い物籠を手に元新城商店前に来る時の気持ちは娘時代にタイムスリップしているようです。

 

    

体験して知る巨大地震の怖さ! 2015年5月10日

体験・立川防災館

???????????????????????????????   立川防災館            

 30年以内に70%の確率で起きると予測されている首都直下型地震。新聞紙上で繰り返し報道され我々に警鐘を鳴らしています。4年前の東日本大震災では地震による津波被害や原発災害の傷跡が癒えず復興の見通しさえ立たない状態が続いています。片や昨年11月の長野北部地震では深夜の大地震にも係わらず「地域のつながり」によって“死者0”の朗報が飛び交いました。

 特に昨年1122日の長野県白馬村を中心としたM6.7の地震は氷川台自治会にとって忘れられない災害になりました。当日午前中は自治会の「要配慮者避難支援訓練」実施日で、200名に及ぶ皆さんが集まり、災害弱者(要援護者)の避難支援訓練に汗を流し、災害から身を守るのは「地域のつながり」の大切さを確認したばかりだったからです。

 あれから半年、なんとなく地震のことも忘れてきたころを見計らって「立川防災館」での体験学習会を企画しました。510()大型バスをチャーターして35名の会員が参加しました。まず、シアター室で東日本大震災の映像を見て改めて地震・津波の怖さを知った後、地震体験コーナーで6人のグループで関東大震災・阪神淡路大震災・東日本大震災と同規模の地震を体験しました。M7.0M9.0の揺れを初めて体験した会員は揺れの大きさに驚くと共に自分の身を守るのが精一杯だということを実感しました。

???????????????????????????????   シアターに見入る会員

???????????????????????????????   M7.0の怖さを知る

???????????????????????????????  テーブル下にも入れず             

 次には煙体験コーナーです。室内に充満した煙を避けながら壁伝いに手探りで避難出口へ向かう会員の姿がモニター画面で見える為、笑いが絶えないコーナーでした。

???????????????????????????????   出口を捜す様子

???????????????????????????????    壁伝いに出口へ向かう              

  続いて応急救護訓練(心肺蘇生法・AED操作訓練)、消火訓練を受けました。

???????????????????????????????  心配蘇生とAED操作

8  消火訓練

  氷川台自治会では平成23年に防災会を設立して以降、毎年消防署の協力を得て防災訓練を実施してきました。減災には、何気ない訓練を繰り返すことの大切さ、日頃の備えの大切さを訴えてきました。今回の体験学習で参加者の皆さんは改めて災害の怖さと訓練の大切さを実感してきました。

 幸いに、例年実施している春の防災訓練(613)に東京消防庁の起震車が氷川台に来てくれることになりました。今年は、消火訓練・心肺蘇生・AED操作訓練だけでなく会員の皆さんが起震車によって巨大地震の怖さを体験することで防災への備えが更に進むことを期待しています。

「自治会だより」連載『コラム声』特集6  2015年5月

         2014年7月 「AED」を習いたい  

最近、AEDを備え付けてあるところが目につくようになりました。公共機関・デパート・スーパー・駅等々。緊急時にAEDを使って一命をとりとめた人が増えた証だと思っています。私も機会があったなら、是非AEDの操作を習っておきたいと思っておりました。

そんな折、自治会だより38号の『61日の防災訓練で「心肺蘇生」と「AED」の訓練があるのでふるってご参加ください』という記事が目にとまり、参加することにしました。当日、会館の参加者は20名ほどでしたので、消防隊員の方が「心肺蘇生」と「AED」のグループに半数ずつに分けて訓練を始めました。私は「心肺蘇生」のグループでしたので、重度後遺症を防ぐ「胸部圧迫」の訓練を受けました。まず、上半身のダミー人形のみぞおちの上の胸骨を両手の手のひらを重ねて揃え、脈拍の速度で圧迫したり緩めたりを繰り返し続けました。

「AED」は止まった心臓を動かす操作であり、「心肺蘇生」は後遺症を防ぐ訓練ですから、この2種類の訓練を合わせて受けることが大切だと思います。今回、私は「胸部圧迫」の訓練しか受けられませんでしたが、またこのような訓練の機会を設けてほしいと思っています。「AED」機器に直接触れて訓練ができるような、ゆとりのある時間設定をお願いしたいと思っています。 【23班 藏薗 柏82歳】

1 「心肺蘇生」訓練を受ける藏薗さん

☆この年、61日の防災訓練は予想外の真夏日となったため、参加高齢者に配慮して、時間を大幅に短縮して実施したため、藏薗さんの希望していたAEDの訓練は受けられませんでした。しかしながら、いくつかの病気を抱える藏薗さんは実に前向き・積極的に毎日を過ごしています。この直後には見守りネットワークの一環である「健康体操」に参加、今年(2015)4月開講の「第2期パソコン教室」に、全くの未経験ながら参加しています。このように家の外に出て他とかかわりを持とうとする高齢者が増えつつあります。

 

2014年8月 『パソコン教室』順調

4月に開設した『パソコン教室』は順調です。清水室長(43)のわかりやすい講義でカリキュラム通りに進んでいます。私と福田さん(43)がアシスタントをつとめています。基本用語・基本操作から始まり、インターネットへのつなぎ方へ。そして、ワード(ワープロソフト)へとすすみました。ワープロは、ページ設定等の操作が多く、特にキーボードからの文字入力に、皆さん四苦八苦していました。さらに写真やカットを取り入れる作業へ……これらを繰り返し練習し、出された課題が「暑中見舞い状」の作成です。722日の第8回で、皆さん見事に完成させました。出来上がった「暑中見舞い状」は自治会館の壁に展示されました。写真はそれに見入る受講生の皆さんです。しばらく展示していますので、会館に立ち寄った会員の皆さん、是非ご覧下さい。23班 馬場 定美

2  パソコン教室開設

3  作品発表「暑中見舞い状」

???????????????????????????????

☆自治会会員1000名の中には、多彩な才能が眠っています。ただ、周囲にその存在を知られていないだけです。自治会の行事に参加した会員たちのふれあいから、それらの才能が顕在化します。そんな1人がパソコンのプロ清水さん。

「住まいの近くでパソコンを習いたい」という会員の声を受けて、清水さんを室長に「パソコン教室」が開設されました。平均年齢70歳を超える11名の生徒さんは、その大半がパソコン未経験です。その生徒さんが、第8回までの講義で、暑中見舞い状を完成させました。ですが、技術の上達だけが目的ではありません。実習時間や休憩時間の隣席とのおしゃべりが、何より楽しいようです。清水室長もそれをよく見極めて、ゆったりしたカリキュラムで進めています。

 今年3月に1年間の教室が終了、好評のため4月から、あらたに第2期の教室が開設されました。

第1期受講生のうち、半数が留年を希望し、参加しました。その感想は『楽しい!』です。

???????????????????????????????  第2期パソコン教室開設

  

2014年9月 トレードに出された北多摩郡

最近、調べ事をしていて、現在の東久留米が明治半ば頃まで神奈川県に帰属していたことを知った。北多摩郡は明治26年に政令により東京府に移されたが、表向きの理由は東京が多摩水系に大きく依存していたためとある。だが実際には当時の政権政党(立憲改進党)と野党である自由党との政争の所産であったようで、多摩地域一帯に強力な選挙地盤を持っていた自由党の勢いを人口の多い東京府に移すことでその党勢を薄めるための措置だったらしい。国内で言うなら県境や市境の変更、そして国際レベルで言うなら領土区割りには、何時の世にも胡散臭さが付いて回る。何はともあれ多摩川と地元湧水のお蔭なのであろう、東久留米に移り住んで以来、水に不便した記憶がない。

ところで現在の氷川台の「台」と言う文字は、当地が黒目川と落合川を挟みこむ河岸段丘地帯の上に在ることに由来しているようだ。東久留米駅から西武住宅へ向かって線路沿いの道を登る時、或いは学芸大国際学生宿舎脇の坂道を上る時には、その「台地」に踏み上がろうとしていることを時々意識する。

目下は、「足腰の鍛錬には持ってこいの坂道だ。」などと強がりを言っているものの、「今年六十のおじいさん」に決別() してさらに十三歳を上積みした自分、遠からず気息奄々の坂道になることを予感している。それでも好きになってしまった氷川台ではある。

欲を言えばキリがないが、氷川台自治会領域内に日常の必要食材・雑貨を扱ってくれるスーパーと医療施設があってくれれば万々歳なのだが。【11班 中島壮太

6

 ☆中島さんも、このころ顕在化した多彩な才能の1人です。氷川台自治会が創設される以前、鉄道会社が開発した住宅街(西武住宅)に最初に入居した1人です。自らと仲間たちを「原住民」と呼んでいます。この「原住民」の60年に及ぶ氷川台生活を「氷川台アーカイブ」という1時間ほどの映像(DVD)にまとめました。その試写会が「原住民」の皆さんが集まって自治会館でありました。その席に招かれた殿田自治会長が試写会後、「原住民」だけでなく「新住民」も含めた自治会版の作成を依頼。中島さんは、新たな取材を重ねて短期間でそれを完成、自治会員への試写会も実施しました。

7

この「氷川台アーカイブ」作成の前年、中島さんは海外メディアの映像を中心とした「東北大震災」というプライベート作品を作成しています。その動機は『欧米メディアの視点が、被災者の心の痛みを訴えようとする姿勢・復興状況をやさしい心でもって継続的に取材・報道をしている』ことでした。

8

この2つの作品はどちらも静止画を中心に、映像に合わせて計算したバックミュージックを入れています。試写を見た皆さんも、内容はもとよりですが、そこを高く評価しています。

 中島さんは、その後、自治会の依頼で「第2回要配慮者支援避難訓練」「餅つき大会」の2行事の記録動画も作成してくれました。

9  10