10月12日(土)に、団塊くるねっと主催により多摩
霊園に眠る文豪を訪ねる「文学散歩」を開催しました。
このシリーズも3回目を迎え、今回も26名の方々に
参加していただき楽しい散策になりました。
散策に先がけて、10月5日(土)に、
まろにえホールにおいて「事前勉強会」を実施しました。
団塊くるねっとの団旗を目印に
JR武蔵小金井駅に集合しました。
今回も林さんの案内で散策しました。先ずは、散策前に霊園についての説明をして いただきました。
さあ、いよいよ出発です。
多摩霊園は、日本初の公園墓地であり、面積は都立霊園で最大の128万平方メートル(40万坪)を誇る広大さです。
最初に、宮本武蔵でおなじみの
吉川英治の墓を訪ねました。
昭和期の文学界を中心に評論家として活躍した亀井勝一郎の墓には、「歳月は慈悲を生ず」と刻む墓誌も建っていました。
青春小説「若い人」や戦後発表した「青い山脈」で一世を風靡した石坂洋次郎の墓の前で真剣に説明を聞いて
います。
「カチューシャの唄」であまりにも有名な中山晋平は、大正・昭和を通じて約3000曲を世に送り出した大作曲家です。
「恩讐の彼方に」で文壇的地位を確立する一方、「文芸春秋」の創刊や「文芸家協会」の設立などでも貢献のあった菊池寛。
当日は、10月半ばとは思えないような酷暑でしたが、皆さん元気いっぱいに歩かれました。
岡本一平(左)と岡本かの子(下)夫妻の墓。そして、長男岡本太郎(上)の墓。私生活もユニークなら墓も又、実にユニーク。右下は、川端康成の辞が彫られている。
34歳という若さでこの世を去った昭和期の小説家中島敦の墓の前で語りの会「遊」の塚田さんに、出世作「山月記」を朗読していただきました。
明治・大正・昭和期に渡って数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表するなど近代日本を代表する詩人北原白秋の墓。
明治・大正期の小説家有島武郎の墓。有島家の向かいに、武郎と若くして亡くなった妻安子のブロンズがはめ込まれた墓がある。
戦後の日本を代表する作家三島由紀夫の墓。平岡家の右側に霊位標があり、そこに筆名三島由紀夫の字が刻まれている。
明治・大正・昭和期に渡り歌人・詩人としてのみならず多面的に活躍した与謝野鉄幹と与謝野晶子の墓。
まるで真夏を感じさせるような陽ざしが照りつける中、広大な敷地に眠る文豪たちを訪ねて歩くこと約2時間、それぞれに思いを馳せて散策を楽しみました。
青く澄み渡った大空は清々しく、それに向かって穂をつけたススキの姿が秋の訪れを感じさせてくれました。
更に、所々から漂う金木犀の甘い香りが参加者の心を和ませてくれました。
懇切丁寧に案内をしていただいた林さん、ご協力いただきました語りの会「遊」の塚田さんに御礼を申し上げます。ありがとうございました。