平成29年8月末で氷川台自治会の「空き家の庭」を利用した氷川台第1農園、「空き地」を利用した氷川台第3農園が閉園となりました。第1農園は平成23年5月から6年3か月、第3農園は平成27年3月から2年5か月の間、氷川台自治会会員のコミュニティ構築の“場”として大きな働きをしてくれました。残念ながら、この度持ち主さんの意向で売却されることになり、地域のみなさんに親しまれてきた氷川台農園は新しい住宅に生まれ変わることになりました。
氷川台第1農園は、平成23年5月に当時荒れ放題だった「空き家」を持ち主さんと交渉して氷川台自治会が無償で有効活用させて頂くことになり、自治会農園として地域の方々に長らく親しまれてきました。
2011年4月 宅地に茂った笹の根やドクダミの根を根気よく取り除いていきました。
2011年5月 根気よく開墾を続け畑に変えていき、野菜を植え付けて農園の形が出来てきました。
「氷川台農園」の看板が掛けられ本格的に地域デビューをしました。
毎日、人海戦術で開墾している姿を見かねた会員さんが、別荘に所有しておられたミニ耕運機「こまめ君」を寄付して下さいました。以降は「こまめ君」が大活躍で高齢者でも親しめる農園になりました。
広い敷地は、野菜栽培をしながら開墾も続けていましたら、様子を知った会員さんがミニショベルを搬入して根こそぎ掘り起こして開墾の応援をしてくれました。(会員さんの無償協力で開墾)
2012年7月(第1回ジャガイモ堀大会) 春のジャガイモ掘り大会は毎年大勢の子どもたちが集まって泥だらけになって掘り起こしていました。自治会にこんなに沢山の子どもたちがいたのかとびっくりしたものです。
氷川台第3農園は、平成23年9月21日に関東地方を通過した台風15号の強風で空き家のトタン屋根が剥離し飛散したのがきっかけでした。放置すると危険なため現状写真を市役所を通して持ち主さんへ送り対策をお願いしました。早速、確認に見えた持ち主さんが対策手段は家屋解体しか方法はないとの判断で解体されました。更地になった宅地の管理を自治会に委託され、氷川台第3農園として野菜を栽培して芋掘り大会等で子どもたちに親しまれてきました。
2011.9.21関東地方を通過した台風15号の強風でトタン屋根が飛ばされ電線に掛かっている。
2014年7月 解体後は空き地のまま放置され草が繁茂していました。
2015年4月 持ち主さんから管理を委託されて徐々に畑に変わっていきました。
2017年7月 農園にお別れのジャガイモ堀大会に大勢の子どもたちが参加しました。尚、この模様は、「ふるさとづくり大賞」総務大臣賞受賞団体の活動として撮影されました。
氷川台自治会の地域コミュニティの原点は「空き家の有効利用=氷川台農園」にあったと云っても過言ではありません。“安心・安全で暮らしやすいまち「氷川台」、元気で明るい自治会をみんなでつくろう‼”のスローガンを掲げて取り組んだ地域活性化対策の一つが空き家を利用した“ふれあいの場”つくりでした。自治会内に放置してある空き家や空き地の所有者と交渉して、自治会が管理することを条件に無償で借り受け、会員が協力してササなどの雑草を取り除き、重機や小型耕運機を使って畑(氷川台農園)に変えて、住民が食べたい20種以上の野菜を育ててきました。会員有志がほぼ毎日、農地を見回り、育成や収穫に励み、道路に面した棚「道の駅ひかわだい」に置き、一袋100円で無人販売もしてきました。また、春には「ジャガイモ掘り大会」、秋には「サツマイモ掘り大会」などのイベントを行い、地域の子どもたちに「土にふれる楽しさ」を体験させたりしました。
空き家の庭や空き地を利用した農園は、高齢者から子どもまで幅広い層の「ふれあいの場」となってきました。氷川台農園や「道の駅ひかわだい」に集まる住民、芋ほりイベントに集まる親子の交流など、住民同士が顔を合わせる機会が増え、地域のコミュニティ構築に寄与してくれました。
またこの間、自治会の活動は先進事例としてマスコミに取り上げられたり、学会誌から活動状況の投稿依頼がきたり、他県他市の多数の自治体から視察研修に見えたりしました。
2014.9.15 読売新聞に掲載されました。
2016年7月 日本都市計画学会誌で「空き家の有効利用」として紹介されました。
「都市計画」掲載の論文
2015.10.29 栃木県日光市役所の視察状況
2015.11.15 千葉県市原市の広報で「氷川台自治会の活動」が紹介される。
この様に、地域コミュニティ構築に多大な貢献をした「氷川台農園」は姿を消して新たな家主を迎えて再出発します。氷川台自治会会員一同、新たな家主さんとのふれ合いを楽しみに待っています。
氷川台自治会 殿田 俊三