第9回 東久留米三田会ウォーキング 戦争遺跡を訪ねて 27.5.9

02たての緑地入口

03たての緑地a

 この春は戦後70年の節目の年でもあるので、昨年戦争遺跡に指定された「たての緑道」を散策します。

 たての緑道は東久留米駅からひばりが丘へ向かう全長約3キロの軍需用引き込み線の跡地です。昭和19年から終戦の年の20年までの約1年間、ゼロ戦などの軍用機を製作した中島航空金属田無製造所エンジン製作用の鋳型の砂などの材料を運搬したそうです。

 

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   27.5.1力久撮影 ⇒

  落合川を渡り竹林公園を右に見ながら歩くと立野川の下流に自由学園の校内がみられます。自由学園では学園内の見学と戦争で亡くなった人たちの慰霊碑をたずねました。一人は中島航空金属の防空壕の中で、他の一人は広島の原爆で亡くなったそうです。
SONY DSC    05自由学園見学

 22.3.27力久撮影
 たての緑道は、近くの市民にとっては通勤道、生活道であり散歩道でもあります。2mぐらいの幅の小道を若葉を目で楽しみながら散策しました。

途中、中島航空金属でゼロ戦などのエンジンを作製したというけれど、ゼロ戦は海軍でしかも三菱重工で設計されたはずだが、という質問がありました。この件は4月の総会の時も西東京三田会の会員からも質問を受けました。
 後日、市教育委員会郷土資料室へ訊いたら文化財保護審議委員から丁重なメールをいただき、設計、製作は三菱だが2号機からは中島にOEMをしたので、中島は陸軍用の「隼」と海軍用の「ゼロ戦」の両機を製作していたということのようでした。
 ご承知のように、戦時下の資料は終戦と同時に処分されているので確かな資料はないが関係資料からの類推である旨断りがありました。

 イオンでそばを食べながらの懇談ののち散会しました。

            (市教育委員会資料より)                           

01集合写真

次回は美術の会と合同イベントで御岳の玉堂美術館鑑賞と御岳渓谷散策です。詳細はこちらをご覧ください⇒27.7.5美術の会・ウォーキング合同イベント

  写真は佐武昇君撮影                                         文責 S32経済学部卒力久俊治(ウォーキングの会幹事)