市民プラザ⇒れんげ公園⇒上落合橋⇒下里ふれあい公園⇒石橋供養塔・力石⇒大円寺⇒市民プラザ 歩行距離 約5キロ
8年目の桜を見ながらのゴミ拾いでした。お孫さんの2人のチビッ子が先頭で旗をもち、この会の発足メンバー4名のOLsも久々に顔を見せてくれ、多士済々の37名が初春の黒目川をのんびりと歩きました。残念ながら、今年も桜は見られず、春告げ鳥のウグイスの鳴き声も例年の場所では聞けず、ゴミ拾いに集中することになりました。ゴミは例年通り少なかったが、公園内にゴミ袋4袋、藪の中に壊れたビニール傘2本と、悪質なゴミには驚かされました。折角の水と緑のまちが泣きますね。
石橋供養塔⇒
← 力石
大円寺のゴリゴリ馬頭観音・・八王子、板橋、江戸四谷、川越まで、それぞれ5里(20キロ)
市内で最も古い庚申塔をみて、
境内の満開のヒカン桜、アンズの花でやっと花見の気分になりました。
集合写真撮影で散会です。
(指定文化財の説明は市教育委員会の資料からの抜粋)
庚申塔
延宝8年(1680)の造立でこの庚申塔は市内で最も古く、多摩地区においてでも初期のものに属する。まだ青面金剛ではなく文殊菩薩の種子に三猿という形である。もとの庚申塔は現在の小山生活センターに薬師堂がありその境内に立っていたものである。
ゴリゴリ馬頭観音
これは元下里にあったもので、現在の八幡町三丁目付近の所沢街道を少し西に入った通称かね塚と呼ばれた三角地点に建っていたものという。東、板橋、西、八王子、南、江戸四谷、北、川越 いずれも五里という道標から通称ゴリゴリ馬頭と呼ばれている。天保九年(1836)下里村中による造立である。
石橋供養塔・力石
この石橋供養塔は明治23年の造立で、ちょうど久留米村が誕生した明治22年の翌年にあたる。黒目川に架けた、曲橋、中橋、落馬橋の三つの橋の建築供養碑である。元薬師堂の境内にあった。
塔の前の丸い石はちからいしといって、かつて農村の若者たちの力競べに使われたものである。一番大きいのは四拾十五貫と記されているが、古老横山善太郎氏の話によると、これは徳さんの石といって、昔若い衆が集まってこの一番でかい石を背負って上っておりたものに上げようという話になり、そこで木こりで日頃山仕事できたえた力自慢の徳さんがとうとうこの石をかついで本当にのぼりおりしたという。それからこの石を徳さんの石と呼ぶようになったそうである。
次回4月2日(木)はカタクリウォ-クです → 27.3.26元気で歩こう会(両面)